季刊身体雑誌

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2010年6月17日木曜日

身体雑誌の表記のポリシー


実は、わがweb mgazin「季刊身体雑誌」で、ゴダールの映画「気狂いピエロ」に触れるつもりなのだが、わがパソコンのワードプロセッサーでは"気狂いと"と入力できないし、1965年公開のこの映画の題名「Pierrot Le Fou」の邦題が「キチガイ」なのか「キグルイ」なのかと、たとえばポスターのコレクターの間などでは、大まじめに論議されていることも、 検索をかけると知ることができた。これには正直言って驚いたのだ。「キグルイ」などという言葉は、何のオタクのあいだでも、まだ発明されていないだろうに......。

  これでは、わが雑誌も真剣に受け止めて、表記には十分気を配ろう、と考えさせられたのだ。そこで、以下……

  「しょうがい」、「しょうがいしゃ」の表記には、一般に「障害」「障害者」が使われている。ところがここ10数年来、これがいわゆる「差別語」にあたるのではないか、ということで「障碍」と書き代えたり、「障がい」と一部を平仮名にすることで、差別ではない---少なくとも記述している当人には差別意識はないというアリバイにはなっている--ということで、この平仮名混じりの表記などは自治体の福祉関係の広報などでは、多用されるようになっている。

 結論をさきにいうと、わが『季刊身体雑誌』では、編集長を含め、しょうがいを持つ人たちについての表記は、他の文章からの引用以外は、"被障害"、"被障害者"とすることにした。

 これは、三友堂リハビリセンター部長川上千之氏の 「しょうがい」「しょうがいしゃ」の表記について考える」(『SSKPアビリティーズ』09年12月号)という記事に触発されたからなのだ。

 川上氏はこの記事で「しょうがい」という言葉の歴史についても触れられているので、引用させていただく。

 ---「しょうがい」の表記がどのような歴史を辿って来たかについて正しい認識を持つために近世における「しょうがい、しょうがいしゃ」の表記に関する歴史について確認しておきたい。

―― 近世の日本において「しょうがい」が公文書等の中でいかに表記されてきたかについては小川創生氏(大和総研)の調査がある。それによると明治時代においては身体の状態についての表現である障害、障礙については、双方の表記がやや混乱して用いられていたが、いずれの表現も使用頒度は高いものではなかったようであった。戦前には人に対する表現としての「障害者」又は「障礙者、障碍者」はみられなく、現在の障害者にあたる表現は「不具者、不具廃疾者」などの、項在では差別語とされている表記であり、「障害」にあたる表記も「不具、廃疾」が主流であった。「障害、障害者」の表記が戦後において使用されるようになったのは1949年(昭和24年)の身体障害者福祉法制定が契機となっていた。 

 その後「障害、障害者」の表記が-般に使用されるようになっていったが、その際「障礙、障碍」が用いられなくなったのは1946年(昭和21年)に行われた当用漢字の制定により「礙」や「碍」が当用漢字から外されたことも大きな要因であった。戦前には「礙」や「碍」も一般に用いられていたが、戦後、当用漢字の制定で使用できなくなったので同音の「害」の表記が用いられるようになったとの歴史認識の上に立ち、「障害」を「障擬または障碍」に戻すべきであるとする意見が多いようであるが、それは上に述べた表記の歴史上の事実という点からは妥当性が少ないもののように思われる。

 その上で、「障害」は「障害者」の側にあるのではなくむしろ障害者に対して「健常者」の社会が作っ-いる壁あるという考え方も可能である。障害を持っている人たちはむしろ健常者社会から障害を受けている人たちであるとし1う様に考えられるので、これまで「障害者」と呼ばれていた人たちを(「被保険者」に習って)「被障害者」と呼んだ方がむしろ要当なのではないかと思われる」と言う。

 これまでも、様々な言葉が「差別語」、「差別用語」だとしてマスコミはもちろん、日常生活の隅々からも、消し去られていった。だからと言って、差別はなくなったわけではない。むしろ隠蔽されるか、教育の場でさえ見て見ぬふりを助長するだけではなかったのか。 わが「季刊身体雑誌」は、こういう言葉狩りにも反対なのだ。