季刊身体雑誌

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2010年10月5日火曜日

記憶は共有できるのか


記憶を表現することの難しさ

渋谷秀雄写真展
第2部「帝都防衛・アジア太平洋戦争遺産・遺物」
について

 今年、2010年は先の世界大戦(※註1)の終戦から65年めの年ということで、テレビでも多くのドキュメンタリー番組を見ることが出来た。私が興味深く思ったのは「(戦争の)記憶が失われていく」から、何とかこれを伝えたい、伝えていかなければならない。という作者たちの熱意というか、動機(モチーフ)である。それ自体は決して悪いものではない、悪いものどころか、たんにモチーフではない、それが今一番大事なテーマでもあろうと、私も考えていたからだ。
 65年もの時間がたてば人の記憶は薄れるだろうし、その薄れ方の濃淡も人によって様々であるはずだ。せめて共通の体験があれば、それぞれの記憶を持ち寄って、濃淡の調整も出来よう、それで何とか共有できる〈一つの時代の歴史〉のようなものになるかもしれない。そこから共通の教訓や、未来への知恵として語り継ぐものが発見できるなら、それに越したことはない。しかし作者たちも、見る人たちも、他ならぬ私自身も、戦争を経験していないし、「戦争を知らない子どもたちさぁ~」などという歌を口ずさんだこともある世代が、もう50歳台の後半から60歳に達しているのである。
 そんな時代にあって、記憶を共有する、なんてことは出来るのか? 
 かつてあった戦争の記憶を掘り起こすといったテーマのルポルタージュやドキュメンタリー作品、更にはフィクション(映画や小説)のほとんどは、共有出来るという前提、あるいは共有しなければという熱意。共有したいという、切ない希求のようなものがあって作られているのだから、始めから出来ないといってしまうと、話が進まないのだが、そこで、じゃぁそういった「記憶」をどう表現して伝えるか。
 TV番組のいくつかは、個人の記憶を頼りに、本人へのインタビューや語り、残っている事物や記録類の映像、現在の風景などを見せる、といったオーソドックスな方法であった。さすがに(記憶は共有出来るという前提にたって)「どうだ分かったろう、だから戦争はしちゃぁいけないんだ」「……だから、平和運動に共鳴しろ」といった類のノーテンキな作品はなくなっている。むしろそういう、戦後何年か何十年かの「平和運動」も含めての(苦い)記憶が語られている作品があり、そういうもののほうに私は共感したのだ。この時代なら、わたしにも少しの経験があるし、けっこう生々しい記憶もある。そこで、私に共感できたということを手がかりに考えてみたいのだが、やっぱり記憶というのは人それぞれ、一人ひとりで異なるもので、記憶の共有なんてむりだ。それでも過去の記憶に関わる作品を作るとすれば、どうやって、それぞれが別個にしかもてない記憶というものを、共有できるものとして扱い、お互いの共感へと深めていくか、それが作品を作る側に十分に意識されていないと、とんでもない間違いを犯すことになると、私は考えたのだ。
 
 【続きは明日】



http://www.flickr.com/photos/sby_world/sets/72157623517629012/show/

(※1)作者の渋谷君は「アジア太平洋戦争」という呼称を採用している。
私は小学校で「太平洋戦争」と習った記憶(!)が強いのと、学校の外では「大東亜戦争」で負傷した軍人(傷痍軍人)と呼ばれる人が、ハーモニカやアコーデオンを奏でながら、募金(物乞い)をしていた情景の記憶が鮮明なのだ。そんなことから、もしかしたら「大東亜戦争」と呼んだ方が、政府や軍部だけでなく、当時の人々の心情も想像できて、歴史の実態をつかめるかもしれないとも考えているのだが、通常は「先の大戦」とか「第二次世界大戦」ですませている。こんな中途半端な〈個人の記憶〉なのに、やっぱり歴史の刻印が捺されているんだろうなぁと思う。