季刊身体雑誌

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2010年9月12日日曜日

樹の写真展・続き2「帝都防衛」

樹の写真展・他・続き


 
展示される写真はどれも「樹の写真だ」としかいいようが無い。深山幽谷の樹木というわけでもない、観光名物の巨木というものでもない。撮影地は都心の植物園、郊外の雑木林、静岡県の湿地、せいぜい遠出して沖縄県で撮ったものだという。見ようとすれば誰でも見られる対象だろう。しかし、作者なりの独自の切り取り方で撮影された木々のたたずまいを、一点、一点眺めていくうちに、作者の行動の軌跡、行為の積み重ねの重みといったものが伝わってくる。そうして、心に響いてくるものを、見る者が静かに「聴け」ばいいのだろう。
そして、もうひとつ、この作者ならではの対象の切り取り方(フレーミング―――写真という表現手段は、それが対象との距離感、時には作者の世界観や歴史観、人生観といったものまでもあらわすのだが)その独特な距離感で作られた『帝都防衛』というルポルタージュ風の作品も同時に展示されている。こちらも一見の価値はある。

樹の写真展・他


 友人が写真の個展を開く。『第二植物園』ファインダーの中の樹木派(9月28日~10月6日・新宿眼科画廊)
 言葉で説明しようとすると、「これは樹の写真だ」というしかないし、気それで十分なのだ。
あとはただ見ればよい。
 視覚の表現であるのに、その視覚を直接に刺激して心に響いてくるような写真というのが少なくなってしまった。「写真」というよりは「画像」という言葉がふつうに使われる時代だ、誰でも気軽に撮れるし、ネット上なら、それこそ全世界に向けた発表も手軽に出来る。だから、あらためて表現の手段として写真を選び、大判のパネルにして展示するという方法で発表するということが、かえって気恥ずかしいような錯覚に陥りかねない。そんな中でやる展覧会の会場の名前が、「眼科画廊」だという。
 私のような、オールド・アヴァンギャルド世代には、画廊といえば、'60年代現代美術の伝説的存在である「内科画廊」がたちまち思い浮かぶのだが、現代のアヴァンギャルド(前衛)たちには、それほど気負ったところは無いらしく、もっと軽い気持ちで「美術は眼にいいから眼科」とつけたらしい。内科画廊のほうは本当の内科医院を転用したそうだが、よく考えてみればこちらもネーミングとしてはイージーというか、なんというか、そのまンまなわけだから、やっぱり軽いのか。ここを拠点にした作家たちの、その後の活動の世界的な展開を考えるから、ものすごい前衛的な、伝説の画廊……! などと、勝手に思い込んでしまうのか。
 ともかくそこでやる写真作家は、渋谷秀雄という。【詳しくは・明日】